北里柴三郎と野口英世

北里柴三郎と野口英世

北里柴三郎の生家跡に建つ北里柴三郎記念館を訪れました。

記念館には整地されたばかりの大きな駐車場が用意されていました。既に新千円札効果が現れているようです。

新千円札が登場するのは2024年度ですから、もう少しの間だけ野口英世さんには頑張ってもらいましょう。

北里柴三郎野口英世

北里が所長を務める伝染病研究所に野口が採用されたところから彼らの交流が始まります。1898年(明治31年)、野口22歳、北里45歳のことです。

しかし、研究者として務めるには十分な学歴のなかった野口は、文書整理や得意の語学を生かした通訳、渉外といった仕事が中心だったようです。その後、紆余曲折はあったのですが、晴れてロックフェラー研究所の研究員になることができました。

野口の一時帰国の際に開催された歓迎会の席上で、北里は、野口君が今日あるのは、朋友相排し圧迫と猜疑をもって迫害を加える日本と違って、才能をのばす大研究所で仕事ができたからである。と、学閥が支配する日本を飛び出して海外で成功を収めたかつての弟子を心から讃えたのだそうです。

ちなみに、お札の図柄となる肖像の選定には明確な基準はないようですが、ここ最近は明治の文化人シリーズという感じになっていますね。

その明治時代には肖像選定の明確な基準がありました。1887年9月に「兌換銀行券人像描出の件」が閣議決定され、「本邦上古より、洪勲偉績あるものにして、万古にわたり衆人の敬愛仰慕浅からず」として、次の7名の肖像を採用することが決定されました。

日本武尊、武内宿禰、聖徳太子、藤原鎌足、和気清麻呂、坂上田村麻呂、菅原道真

実に錚々たる顔ぶれです。