弘法大師と遣唐使

平戸市内を移動中に「弘法大師渡唐解纜之地」という案内板が目に入りました。
「解纜って何だ?」と気になったので、ちょっと立ち寄ってみました。

解纜(かいらん)とは、纜(ともづな)を解く=出帆のことです。

今から1200年余り前のこと。
この平戸の田ノ浦から唐の長安を目指して、弘法大師を乗せた遣唐使船が出帆しました。

弘法大師がこの地に滞在していたという事実はないようです。弘法大師は難波津(大阪港)から唐に向かったと記されていますので、もしかしたら平戸までは小型船で移動し、この地に停泊していた遣唐使船に乗り換えたのかもしれません。

梅雨の晴れ間の穏やかな海をぼんやりと眺めながら、ふと、遣唐使はどのようなルートを辿って唐を目指したのだろうか?という疑問が湧いてきました。

200年以上にわたる遣唐使の歴史のなかで相当数の遣唐使船が沈没したり行方不明になったりしたのだそうです。遣唐使船は4隻体制で編成されていたそうですが、弘法大師が渡唐したときに唐に到着することができた船はそのうちの2隻だけだったといわれています。

その無事だった2隻の船にそれぞれ弘法大師(空海)と伝教大師(最澄)が乗船していたというのですから、まさに御仏の加護というべきでしょうか。

ちょっと話ができすぎているような気もしますが。