天智天皇と土木工事

移動中の車窓から「泌泉」と書かれた説明板を見かけました。時間に余裕があったので、近くに車を停めて説明板を読んでみました。

そもそも「泌」なんて普段は「泌尿器科」くらいでしか見かけないので、「泌泉」とは何だろうと気になったわけです。

「泌泉」は「たぎり」と読むそうで、説明板には、天智天皇中臣金(なかとみのかね)に命じて造営したと記されています。
泌泉は灌漑を目的とする土木構造物です。近傍の山に降った雨水が地下の石灰岩水脈をくぐり抜けて、ここで湧出するように設計されていたのだそうです。中臣金は天才エンジニアか!
実際のところは、もともと湧き出ていた水を貯水し、さらに必要な場所に導水したというのが妥当なところでしょうか。それでも十分に凄いけど。
時代背景を考えると、全国から北部九州に召集された防人の食糧を確保するために灌漑施設が必要になったのではないかと思います。

なお「泌」には、狭いところを液体が流れる、小さな孔から液体が流れ出るといった意味があるそうです。なるほど、謎が解けました。

中臣金は有名な中臣鎌足の従兄弟にあたり、鎌足と共に皇子時代から天智天皇に仕えていました。泌泉造営から4年後の壬申の乱では天智天皇の子の大友皇子側に立ち、最期は敗軍の将として斬刑に処されたと日本書記には記されています。
古代の天才土木エンジニアは義に殉じたというわけです。嗚呼。

ちなみに古代の天皇のうち最も土木工事を好んだのは、天智天皇ではなく、その実母の斉明天皇なのだそうです。日本書紀にも、”(前略)時に興事を好む。すなはち水工をして渠を穿らしむ。香山の西より、石上山に至る。(中略)時の人の謗りて曰はく『狂心渠(たぶれごころのみぞ)』。功夫を損し費すこと三万余。垣造る功夫を費し損すこと七万余。(後略)”と記されています。

「興事」とは土木工事のことですが、読みが同じですね。工事の語源が興事なのかについて簡単に調べてみたのですが、明確な答えは見つけられませんでした。

女性天皇の斉明天皇が本当に土木工事を好んだのかについては今となっては真偽不明ですが、もしかしたら皇子時代の天智天皇(中大兄皇子)が実質的な土木工事の指導者だったのかもしれません。