ロメオか、ロミオか、それが問題だ。

ロメオか、ロミオか、それが問題だ。

所属するアマオケの定期演奏会(2020年12月開催予定)の中止が決まりました。

プロオケの演奏会もままならない状況ですので、アマオケの活動が定常化するのはまだまだ先のことになるでしょう。

予定していた定期演奏会は、メインにブルックナー(Anton Bruckner)の交響曲第4番『ロマンティック』を据え、前プロはチャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky)の幻想序曲『ロメオとジュリエット』、中プロは同じくチャイコフスキーの『ロココバリエーション』というかなり本格的なプログラムでした。同プログラムを次年度以降にそのまま持ち越すのかについては未定です。

ところで、『ロメオとジュリエット』と聞いて違和感を覚えられた方もいらっしゃるかもしれません。

というのは、映画やミュージカルのようなエンタメ業界では『ロミオとジュリエット』と表記されることがほとんどですし、翻訳本もほとんどが『ロミオとジュリエット』です。私が一番最初に読んだ翻訳本も新潮文庫版『ロミオとジュリエット』でした。

ちなみに、新潮文庫版のシェイクスピア(William Shakespeare)の戯曲集は高校時代にほとんど読破しましたが、なぜか『ロミオとジュリエット』だけは福田恆存氏ではなく中野好夫氏の翻訳でした。

一方、クラシック業界では『ロメオとジュリエット』の表記が優勢です。

例えば、先ほど挙げたチャイコフスキーの幻想序曲『ロメオとジュリエット』の他に、プロコフィエフ(Sergei Prokofiev)のバレー音楽『ロメオとジュリエット』、ベルリオーズ(Louis Hector Berlioz)の劇的交響曲『ロメオとジュリエット』、グノー(Charles Gounod)の歌劇『ロメオとジュリエット』といった具合です。

表記の揺らぎはよくあることなのですが、この件については音楽業界(というかクラシック業界)だけの事象なので、業界特有の表記上のルールみたいなものがあるのかも知れません。検索をかけてみたところ、同じような疑問をもたれた方のブログは数多くヒットしますが、確定的な結論にまでは至りませんでした。

この件については、あるブログに書かれていた次の推論がもっとも説得力がありました。

「クラシック業界では英語圏よりイタリア語圏の方が幅を利かせているから、『romeo』は英語読みの『ロミオ』ではなくイタリア語読みの『ロメオ』になった。」

納得しつつも、だったら『ジュリエット』ではなく『ジュリエッタ』だろー、と突っ込みたくなる性分ですが、原題が『Romeo and Juliet』 なので、ジュリエッタと読むのは流石に無理がありそうです。

これは全くの私見ですが、クラシック業界は、最近こそ新たな取り組みも始まりつつあるとはいえ、いまだに保守的かつ権威主義的な側面が多分にあります。そう考えると、これらの作品を最初に日本に紹介した偉い先生が付けた邦題『ロメオとジュリエット』を、その後も出版業界やレコード業界が後生大事に踏襲した結果というのが真相じゃないのかなー

Gustavo Dudamel & Berliner Philharmoniker