平戸の遣唐使

投稿者: | 2019年7月16日

平戸市内を移動中に「弘法大師渡唐解纜之地」という案内板が目に入りました。
「解纜って何?」
時間に余裕があったのでちょっと立ち寄ってみました。
辞書で調べてみたところ、解纜(かいらん)とは、纜(ともづな)を解く=出帆のことなのだそうです。

今から1200年余り前のこと。
弘法大師は、遣唐使の一員としてここ田の浦から唐の長安を目指して出帆したのでした。とはいえ、弘法大師はこの地に滞在していたということではないようで、記録によると難波津(大阪港)で乗船していることから、田の浦はただの寄港地ということになります。

梅雨の晴れ間の穏やかな海をぼんやりと眺めながら、ふと、遣唐使はどのようなルートを辿って長安を目指したのだろうか?という疑問が湧いてきました。200年以上にわたる遣唐使の歴史のなかで相当数の船が沈没したり行方不明になったりしたそうです。遣唐使船は4隻体制で編成されていたようですが、弘法大師が渡唐した際に無事に大陸まで到着した船は2隻だけだったといわれています。その無事だった2隻の船にそれぞれ弘法大師(空海)伝教大師(最澄)が乗船していたというのですから、まさに御仏の加護というべきなのでしょうか。
ちょっと話ができすぎているような感じもしますが。。