弁理士が主人公の小説

海野十三という小説家の作品に「特許多腕人間方式」という短編小説があります。
小説の書き出しはこんな感じです。

『×月×日 雨。
午前十時、田村町特許事務所に出勤。
雫の垂れた洋傘をひっさげて、部屋の扉を押して入ったとたんに、応接椅子の上に、腰を下ろしていた見慣れぬ仁が、ただならぬ眼光で、余の方をふりかえった。事件依頼の客か。門前雀羅のわが特許事務所としては、ちかごろ珍らしいことだ。
「よう、先生。特許弁理士の加古先生はあんたですな」
と、客は、余がオーバーをぬぐのを待たせない。』

冒頭のたった数行に「特許事務所」や「弁理士」が登場します。

ちなみに「特許弁理士」となっていますが、明治から大正にかけて弁理士は特許弁理士と称されていたそうです。それ以前は「特許代理業者」でした。

そのまま読み進めると、これがかなり面白い。
ただ、この面白さは特許制度にある程度精通した実務者か、実際に特許出願を弁理士に依頼したことのある方ではないと味わえないかも。

小説の前半は、依頼者と弁理士との会話で進んでいきます。
守秘義務実施態様産業上の利用性公知文献特許印紙代など、この業界の人間にとっては馴染みのある話題が次々に出てきます。
依頼者から頂戴した着手金が思わぬ大金だったので、加古先生は嬉しさのあまり事務所を閉め、そのまま家路へと急ぐところで前半は終わります(笑)。

小説の中盤は、明細書を仕上げるシーンです。
加古先生は着手金として頂いた百円紙幣と会話しながら、発明の名称特許請求の範囲実施形態を作成していきます。このあたりなかなかシュールな味わいです。
ですが、請求項の作成の段で、「少なくとも・・・」という表現を持ち出したあたりで、おやっ?と思いました。

この作家、相当に特許実務に精通している。
早速ググってみたたところ、海野十三(本名「佐野昌一」)は弁理士と書いてあるではないですか!
なるほどねー。
どれだけ情報収集して勉強熱心な作家さんでも、実務経験のない人が請求項の文面に「少なくとも」という表現を使うなんてことまず考えられませんから。
その後、小説は、出願審査請求拒絶理由通知意見書という具合に特許実務の定石通りに進んでいきます。ここでは引用しませんが、拒絶理由通知も意見書も実にリアルに表現されています。

「特許多腕人間方式」は、特許実務者であれば大いに楽しめる作品ですが、そこは「日本SFの始祖」と称される海野先生のこと、飄々とした文体から滲み出るちょっぴりシュールなユーモアはどなたにでも味わっていただけるのではないでしょうか。

海野先生には、「名士訪問記 ――佐野昌一氏訪問記――」という作品もあり、海野自身がインタビュアーとして弁理士 佐野昌一を訪問取材するという、これまた奇妙な設定の掌編です。内容は…弁理士必見です!

本当に素敵な弁理士がいたものです。
海野十三のことはこの短編小説と出会うまでは全く知りませんでした。
青空文庫には彼の作品が200近く収録されています。
星新一筒井康隆がお好きであればきっと楽しめると思いますよ。

ちなみに、海野先生はどのようなお顔なのかなとググってみたところ…たまげました。
ダンディーすぎる弁理士ですよ、これは!